はじめに
初めまして。効率魔人です。
このブログでは「人生から無駄を削減して効率よく時間を活用する。」をコンセプトに発信をしていきます。
記念すべき第1回目のこの記事では私が考える「無駄」について書いていきたいと思います。
この記事のポイント
①「無駄」の判断基準は人それぞれ ②当たり前の常識が「無駄」だと気づく ③「無駄」とは幸せな人生を歩む上でマイナスとなるもの
①「無駄」の判断基準は人それぞれ
「無駄」という言葉の意味をネットで調べると「役に立たないもの・効果がないこと」と出てきます。
しかし、「役に立つ・効果がある」という判断基準はその人の価値観やその時の状況によって変わります。
突然ですが、これから非常に難しい質問をします。
きちんと心の準備をした上で読み進めてください。
あなたの家の冷蔵庫にプッチンプリンがあるとします。
さて、あなたはプッチンプリンをお皿の上にプッチンする派ですか?プッチンしない派ですか?
意見は真っ二つに分かれると思います。
プッチンする派の価値観としては「プッチンプリンはプッチンすることにより美味しく食べることができるから」というものがあると思います。
反対にプッチンしない派の価値観は「プッチンする手間やお皿を洗う時間が無駄」というものがあると思います。
このように「プッチンプリンをプッチンすること」について、無駄だと考える人もいれば無駄だと思わない人もいるわけです。
つまり、このことについて誰かと議論しても結論は出ないため、まさに無駄だといえます。
②当たり前の常識が「無駄」だと気づく
だったら、こんなブログで色々な事柄について「無駄」だと主張する事だって「無駄」なのではないかという人もいると思います。
確かに「プッチンプリンをプッチンすること」について明確な自分の意志や根拠を持って行動している人にとって、このブログの記事は無駄だと思います。
しかし、先ほど「プッチンする派」と答えた人の中には「プッチンプリンはプッチンして食べるものだ」という固定観念によって、プッチンしていた人もいたと思います。
商品名が「プッチンプリン」というそのままの名前だし、入れ物の裏側にプッチン用のつまみもありますからね。何も考えずにプッチンしたくなるでしょう。
せっかくプッチンプリンをプッチンしても美味しさにそこまで違いを感じない人は幸せにつながらない余計な手間をかけていることになります。
これこそが私の考える「無駄」であり、このブログで皆様に訴えていきたい事です。
③「無駄」とは幸せな人生を歩む上でマイナスとなるもの
先ほど私は「役に立つ・効果がある」という判断基準はその人の価値観やその時の状況によって変わると述べました。
しかし、この判断基準は固定観念ではなく本当に自分で考えたものなのでしょうか。
もっと言うと、この判断基準で行動して本当に自分は幸せになるのでしょうか。
自分が幸せな人生を歩むために何がプラスなもので何がマイナスなものか。
そう考えたときにマイナスにあたるものが「無駄」であると私は考えています。
さいごに
このブログの記事が、皆様の日常に潜んでいる「無駄」を発見するきっかけになれば幸いです。
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